Kip Hanrahan / Coup de Tête / 1982年
キップ・ハンラハン / クー・ド・テット / No.0052
キップ・ハンラハン 伝説のアルバム「クー・ド・テット」。
1982年のアルバムだけど、オイラは当時その存在さえも知らなかった。
当時はオイラ学生で東京にいたけど、都会にいても田舎者はいなか者だ。
オイラのアンテナには、残念ながらキップ・ハンラハンの名は飛び込んでこなかった。
ここ数年前からラジオやネットで存在を知り、ようやくCDを手に入れた。
参加ミュージシャンはカーラ・ブレイ、ビル・ラズウェル、アート・リンゼイ、アントン・フィアー、チコ・フリーマン、フレッド・フリス、ジャマラディーン・タクマ、ビリー・バング等々、一癖も二癖もありそうな、とんでもないメンバーだ。
いまでこそ、ジャンルを超えた交流や音楽というのは当たり前になりつつけど、
当時、こんなキューバンというかラテンやジャズやポエトリーやジャズが入り乱れた音楽というのは、さぞや過激だったのだろう。
クラーヴェって知ってるでしょ。僕たちはアメリカで育って、そこでクラーヴェを習ったんだけど、僕達は自分達がアメリカ人だとは思っていなかった。アメリカの部外者だと思ってた。ニューヨークの外へちょっと行っただけで、自分がいかにアメリカ人じゃないかってことを悟る。それは正しくて、実際の話、僕達はアメリカの権力や、アメリカの社会や社会構造の全く枠外にいるんだ。僕のパスポートはアメリカだし、僕達はアメリカで育ち、クラーヴェをカウントし、作りだしてはいるんだけれども、僕達のほとんどの人間にとって、2拍目と4拍目のアクセントは、アフリカン・ミュージックのアクセントではなくて、金と権力のアクセントなんだ。僕達とは無縁のね。クラーヴェをカウントしてはいるけれども、僕達に言わせればアメリカン・ミュージックは、ロックは、資本主義のサウンドトラック、資本主義の背後で鳴る音楽、なんだよ。僕達にしてみれば、それがアメリカン・クラーヴェ。これは皮肉なタイトルでね。レーベルの名前には皮肉がこもってる。
クラーヴェは、アフロキューバン音楽のリズムパターンというかスタイルのことを指す。
痛烈なカウンター・カルチャーとしての音楽。
しかし、意外にも耳あたりはいい。
キップ・ハンラハンは、アストル・ピアソラの最高傑作と呼ばれる3部作をプロデュースして、ピアソラの名を世界に知らしめた人としても有名だ。
Whatever I want – Kip Hanrahan